山ゆり
わたくしがその方を知ったのは十三の春でした。
わたくしの父は火の国の宰相を仰せつかっておりました。母は五歳の時に身罷られ、以来わたくしは王宮内の父の側で育ちました。名目は皇太子殿下の婚約者である姫君の遊び相手でしたが、実際にはわたくしを側に置いて守るためだったのでしょう。中級貴族の出身でありながら宰相にまで昇りつめた父は敵が多かったのです。わたくしは皇太子殿下の婚約者で今年九歳になられる祭の国の姫君の遊び相手として王宮で暮らしておりました。
それは風もなく暖かい春の日でした。王宮の中庭にある桜の古木が薄紅色の花を咲かせておりました。唐突に皇太子殿下が山桜を見に行くと仰せになり、花見に出かけることになったのです。
王宮の桜の古木は都の桜よりも遅く咲くのですが、それが丁度山奥の桜の時期と重なります。毎年、古木の満開が合図となって山奥の桜を見に遠出する習わしになっておりました。ただ、いつもの花見は国主様ご夫妻ともども、輿を設え華やかな行列を仕立てます。このように内輪の者だけで山桜を見に行くのは初めてのことでした。怪訝に思う気持ちが出ていたのでしょう、殿下は照れたように仰せになりました。
「宰相は今日、休みであろう?いつもは政務で走り回っておるからな。こんな時でなければ共に馬を駆けさせられまい」
父は元々武人で、時間をみては剣や馬の指南をしておりましたから、殿下に気に入られていたのでしょう。休みの日はこうやって引っ張りだされることがしばしばでした。ただ父も楽しそうにしておりました。殿下はまだ十歳、息子に接するようなお心持ちだったのだと思います。
朝のまだ早い時間にわたくし達は出発いたしました。殿下と父は馬で、わたくしと姫君は馬車で、目立たぬようわずかな供回りで都を出ました。兵を連れると目立つので、父は護衛を木の葉の忍びの方々に頼んだようです。ただ、道中お姿をみかけることはまったくありませんでした。
忍びの方々というのはあまりわたくし達の前に姿をお見せになりません。王宮には木の葉の忍びの方々が護衛として常駐しておりましたが、いつもはそれを忘れるほどひっそりとしておられるのです。たまにお見かけしても無表情で何を考えておられるのかさっぱりわかりません。不思議な術で突然消えたりなさる様は人ではないようで、わたくしは忍びの方々が正直恐ろしくありました。
襲撃があったのは午後の遅い時間でした。夕刻というにはまだ少し早いこの時間の、西にわずかに傾いた陽光は、木々や花々を鮮やかに浮かび上がらせます。供の者達が帰り支度をしている間、わたくしはその光景に見惚れておりました。突然、うめき声が聞こえました。桜の木の間から木の葉の忍びの方が倒れこんできました。侍女の悲鳴が響くと同時にあちこちで爆発音や金属の打ち合う音が聞こえてまいります。
「お逃げ下さいっ」
姿を現した木の葉の忍びのお一人がわたくし達に叫びました。
「走って…」
そこまで言うとその方は地に伏してしまわれました。背に幾本もの刃物が突き立っておりました。黒装束の男達が姿をあらわします。いつしか辺りはシンとして、鳥の声すら聞こえません。男達はわたくし達を囲むようにゆっくりと近づいてまいりました。皇太子か、と男達は確認するように言いました。父は黙って一歩前へ出ると刀を抜きました。わたくしも姫君を背に庇い懐剣を抜きます。しかし、それが無駄だということはわかっておりました。護衛の忍びの方々ですらかなわなかったのです。父やわたくしに何が出来ましょう。それでもわたくしは父とともに誇り高く死にたいと思いました。ただ、殿下と姫君をお守りできないのが口惜しくてならず、男達を睨みつけるのが精一杯な己が情けなくてたまりませんでした。男達は白刃を振りかざしこちらへ殺到してまいります。血濡れた刃がぎらりと光り、父とわたくしの上に振り下ろされようとしたそのとき、ざぁっと銀色の風が吹きました。黒装束の男達が崩れ落ちました。
「ご無事ですか」
穏やかな声がしました。わたくし達を庇うように銀の髪の男の方が立っておられます。木の葉の忍びの方でした。黒装束の男達が凄まじい勢いで迫ってきます。ですがその方はまったく動じず、わたくし達にむかって柔らかく目を細められました。
「もう大丈夫ですよ」
言い様、刃物をふるわれます。幾人もの男達が彼方へと吹き飛んでいきました。その銀髪の忍びの方はほとんどその場を動いていないというのに、敵を次々と切り伏せてしまわれます。
「はたけ隊長」
木々の間から木の葉の忍びの方々が飛び出してきました。
「生け捕りにして黒幕を吐かせろ。自爆させるなっ」
はたけ隊長と呼ばれた銀髪の方が鋭くおっしゃいました。瞬く間に忍びの方々は姿を消します。銀髪の方はじっと彼方を見つめておられましたが、しばらくして大きな爆発が起きますと僅かに眉をひそめられました。木の葉の方々が戻って銀髪の方に頭を下げました。自爆とか、こちら側は巻き込まれずにすんだとか、そういう言葉が聞こえてまいりました。
その後、銀髪の方は部下の方々に指示を出され、父に何かを告げられました。父があのように動揺する様を今までわたくしは見た事がありません。銀髪の方は殿下にたいしても何やら話をなされました。殿下が顔を覆われ、その方は優しい仕草で殿下の肩をさすられました。後で知ったのですが、その時、国主ご夫妻が亡くなられたことをお知らせになったのだそうです。
部下の忍びの方のうち、面をつけた、木の葉の忍び装束とは違う格好の方になにやら耳打ちなされ、父と殿下はその方に付き添われて馬に乗られました。銀髪のその方がふと、わたくしに目を向けられました。そしてそのままわたくしの前に膝をおつきになりました。
「よくがんばりましたね」
そういってわたくしの手をとられます。
「これはもう必要ありませんよ。お心を楽に」
気付けばわたくしはまだ懐剣を握りしめておりました。銀髪のその方はわたくしの手をさすられ、ゆっくりと開かせてくださいました。わたくしはガチガチに拳を握り、自分で動かすことが出来なかったのです。懐剣を手からはずしてくださると鞘に納め、その方は優しく繰り返されました。
「もう大丈夫です。何も心配することはありませんよ」
その時はじめて、わたくしは心の底から安堵いたしました。膝から力が抜けていきます。その方は僅かに目を見開かれ、それからにっこりとお笑いになったようでした。鼻の上まで黒い口布をなさっていて、左目も木の葉の印のついた布でおおわれていたので、表情がよくわからなかったのです。ですが銀髪の忍びの方は確かにお笑いになったように思えました。
「大丈夫ですよ」
もう一度そうおっしゃられ、ポーチから白いハンカチを出してわたくしの頬を拭いてくださいました。わたくしは泣いていたのです。銀髪の方はわたくしの頭をくしゃり、と撫でるとまたお笑いになりました。右目しかみえていなくてもその方の空気はとても優しくて、わたくしはわぁわぁと泣いてしまいました。人前でこんな風に泣いたのははじめてのことで、いくら恐ろしい目にあったからとはいえ心の底から安心させてくださるこの銀髪の方がわたくしは不思議でなりませんでした。
国主様がお亡くなり、賊の首謀者もわからず、国政は混乱しておりました。国をまとめるべく奔走する父のたっての願いでその銀髪の忍びの方は王宮に留まることになりました。
その方のお名前は『はたけカカシ』とおっしゃいました、なんでも忍びの世界では有名な御方なのだとか。木の葉の里には欠かせぬ方で、本当ならば一週間で里にお戻りになられるはずを、父が引き止めたのです。
父は信頼できる有能な人物を欲しておりました。そしてはたけ様はたいそう優れた御方で、しかも誠実なお人柄でしたので、父は早い時期からはたけ様を後継者にとお考えだったようです。忍びを侮る方々も多い中ではたけ様は実に飄々と、しかし着実に成果をあげられ、いつしか王宮内で揺るがぬ信頼を勝ち得ていらっしゃいました。それでいて時間があくと、殿下だけでなくわたくしや姫君の相手もしてくださいました。
はたけ様、とわたくしがお呼びするといつも苦笑いなされ、「カカシでいいですよ?」とおっしゃいます。殿下や姫君はすぐに『カカシ』とお呼びになっておりましたが、わたくしはそういうわけにもいかず、結局『カカシ様』とお呼びいたしました。するとまた困ったようにお笑いになって「様はいりません」とおっしゃいます。そんなやりとりも楽しくてわたくしは『カカシ様』とお呼びしました。結局はカカシ様が折れましたが、口布をしていてもそうやって困ったり笑ったりする表情がよくわかって内心嬉しくありました。
夏になる前、殿下が即位され、カカシ様は正式に教育係に就任なさいました。これまで以上にお会いする機会が増えることにわたくしは心弾ませました。カカシ様は様々な事柄に造詣が深く、お話しをうかがうだけで勉強になりました。それだけでなくわたくし達はよく、忍びの里の話をねだりました。カカシ様はいつも「忍びの里なんですから秘密ですよ?」と人差し指を口布の上にたて、それから様々にお話しくださいました。忍者の里も都とかわらず学校やお店があること、とても美味しいラーメン屋があること、忍びの方がお酒を飲まれるとたまに忍術を使って暴れてお店の人に怒られる事、火影様は美人だけどとっても力が強くて怖い事、カカシ様のお話しはまるでお伽噺のようでした。カカシ様には生徒が三人いるのだというお話しもうかがいました。ちょうどわたくしと同い年なのだそうです。カカシ様はよくわたくしの髪を撫でてこうおっしゃいました。
「私の生徒は桃色の髪ですが、真白様と同じ緑色の綺麗な目をしているのですよ」
その生徒の名前はサクラと言うのだと聞かされました。桃色の髪の毛のサクラ、でもわたくしの名前は真白で髪は亜麻色、まったく関係ありません。カカシ様があまりに愛おしそうに『サクラ』の話をするのでちょっと癪に障りました。
「カカシ様は桃色の髪の方がお好きなのですね」
拗ねてそう申し上げるとカカシ様はちょっとびっくりなさったように目を見開き、それから可笑しそうにお笑いになりました。
「サクラは私の娘のようなものですからね、特別なのです。でも、真白様の亜麻色の髪もカカシは大好きですよ。とても美しいと思います」
そうお笑いになりながらわたくしの頭をくしゃりと撫でてくださいます。それがくすぐったくて嬉しくて、拗ねているはずの口元が弛んでしまうのを隠すのにわたくしは一生懸命でした。わたくしが頭を撫でてもらうと、殿下、いえ、即位されたので陛下とお呼びすべきでしょう、陛下と姫君は『真白ばかりずるい」と言って黒髪の頭を突き出されます。カカシ様はまた楽しそうにお笑いになってお二人の頭をくしゃくしゃとかき回されるのが常でした。一度、姫君の頭をくしゃくしゃしている所を女官長に見つかってこっぴどく怒られたことがありましたが、その時のカカシ様の恐縮するお姿ときたら、お強い忍びの方とは思えぬほ体を小さく縮められておりました。わたくしは可笑しいやらなにやら、カカシ様は男の方ですけれどなんだか可愛らしいと思いました。
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