化け猫譚試し読み(書き下ろしの方)

 



六代目火影の治世、戦乱の後処理も一段落つき他里との交流も盛んになった木の葉はこれまでになく発展していた。若い世代の婚姻も進み新しい命も誕生している。ナルト夫婦、サスケ夫婦も新しい家族を授かった。

その年の夏は例年にない猛暑であった。七月に入ってから一度も雨が降らない。なのにカラリとせず蒸し暑い日が続く。ほとんど風も吹かず、まるで里全体が蒸し釜の中にすっぽり入ってしまったような、そんな暑さだ。

日付がかわる時刻、任務報告を終えた若い二人の中忍は暑さをぼやきながら歩いていた。忍びの里の飲食店は深夜も営業している。忍び稼業、遅くに帰還するものが多いからだ。二人もこれから飯とビールだと繁華街に向かっている。

「七月でこんなに暑いって先が思いやられるよなぁ」
「夏服っつったって基本忍服、体全部覆うじゃん」
「下忍の頃がなつかし〜。結構服装、ラフでいられたし〜」
「じゃ下忍に戻れよ」
「ヤダ」

ははは〜、と笑い合う二人はついこの間の試験で中忍に昇格したばかり、十六歳の若者だ。戦争を知らない最初の世代といったところか。

「やっぱさぁ、中忍になると六代目様に直に声かけてもらえたりするじゃん。下忍時代と全然違うって思うよなぁ」
「昇格式の時、一人一人に六代目様、お声かけてくださったもんな。オレ、マジ感動した」
「今のアカデミー生はいいよなぁ。時折火影様が遊んでくださるそうだぞ」
「あ〜、ほら、オレら低学年のときの担任だったイルカ先生、六代目が就任したら補佐官になったじゃん。でもイルカ先生、結構アカデミーに顔出すみたいで、その繋がりで火影様もいらっしゃるんだと」
「ナルト上忍も一緒についてきたりするっつーから羨ましいよなぁ」
「なかったよなぁ、オレらん時は〜」
「隙間世代っての?オレら、損してるな〜」

暑いと色々なことがボヤきの対象になってくる。上官への不満だのなんだのとあれこれ愚痴を言い合っていた二人はふと、足を止めた。

ぴちゃり…

妙な音だ。なにかを啜るような、舐めるような、そんな音。繁華街に向かう道から脇へそれた小道の奥から聞こえてくる。二人は顔を見合わせ、音の方へと足を踏み入れた。

ぴちゃり…ぴちゃり…

音とともに生臭いにおいが空気に混じる。クナイを取り出し足音を忍ばせた二人は音のする方をそっとうかがい見た。草むらに白いマント姿の男がうずくまっている。見覚えのあるそのマントの男は銀色の逆立つ髪だ。

「……え」
「ろっ六代目様…?」

うずくまっていた男がゆっくりと振り向いた。端正な面差しは確かに自分達の里長、しかし銀色の髪の間から大きなとがった耳が生えている。爛々と光る両眼は血の色だ。白いマントの足元には若い娘が倒れいていた。真っ白な顔で目を見開いたまま事切れている。

「ひっ…」

息を飲む若い中忍に銀髪の男がニタリと笑った。薄い唇がみるみる耳まで裂ける。真っ赤な舌と鋭い牙がのぞく口は血まみれだ。禍々しい瘴気が吹きつけてきた。

「ひぃぃぃーーーー」
「ぎゃああああ」

若い中忍達は脱兎のごとく逃げ出した。そのまま来た道を取って返して本部棟に飛び込む。戦おうとか式を飛ばそうという考えは微塵も浮かばなかった。





「ぶわっかもーーん、ただ逃げ帰るとはそれでもお前達は中忍かーーーっ」

受付所に助けを求めた二人は案の定というか、ご意見番にして現在木の葉観光局長として手腕をふるう水戸門ホムラの執務室に呼び出され雷を落とされた。バリバリの戦中派の老体に逃走の二文字はないのだ。

「しかもあろうことか、火影が若い女を食っておったなどと受付所で叫ぶとは不届き千万。六代目は現在五影会談のために鉄の国に赴いて不在であろうがっ」
「ももも申し訳ありません〜〜」

若い中忍は身を縮めた。気が動転した二人は助けを求めて駆け込んだ受付所でうっかり六代目が人を食っている、女を食っていると叫んでしまったのだ。

「深夜で受付職員しかおらんかったからよかったようなものの、これが里外の一般人がいる時間帯であったら大変なことになっていたのだぞ。どんな風評がたったことやら、お前達、木の葉を潰す気かっ」

声もなく若い中忍二人はうなだれる。そうなのだ。木の葉の里長が人を食う化け物なわけはないのだが、噂とは恐ろしいもので、人の口を伝わって広がればどんな弊害がうまれるとも限らない。そもそも忍び稼業は信頼によって成り立っているので、一度妙な噂がたてばダメージは大きいのだ。

「ホムラ様、今回は事なきを得ましたしその者達も身にしみたでしょう。そろそろお許しになっては」

水戸門ホムラの後ろに控えていたうみのイルカ補佐官が助け舟を出した。

「イルカ先生ぇ」

中忍達は元担任にすがるような目を向ける。恩師を前にするとどうしても子供時代の感覚になってしまうものらしい。

「お前達も中忍の立場や責務がわかっただろう。これが下忍や一般人ならばここまでホムラ様はお怒りにならないんだからな」

うみのイルカ補佐官もまた教師の顔になっている。こくこくと頷く若い教え子達に補佐官はふわりと表情をゆるめた。

「今回は逃げて正解だったよ。もしお前達が戦っていたら今頃死体が2つ増えていた。逃げるのもまた生き延びるために必要なことだ」
「こっこら、うみのっ」
「ただし」

ホムラが何か言う前にイルカはずい、と指を教え子の前に突き出す。

「動転してあらぬことを口走ることが今後ないよう気を引き締めろ。戦うにしろ逃げるにしろ冷静さを欠くようでは中忍の資格はない。それからもう一つ」

教え子は神妙な顔で恩師の言葉を待つ。

「おそらくお前達は今後、お前達が口走ったことと同じ噂を耳にすることになる。その時、里の中忍としてどういう態度をとるべきか、お前達が信じるべきは何なのか、己自身に問いかけよく考えるように」
「うみのっ」

語気を鋭くするご意見番にイルカは静かな目を向けた。

「時間の問題です、ホムラ様。敵は殺しの現場でわざと六代目の姿を目撃させているんです。この子達が生きているのは偶然じゃない。殺そうと思えば簡単だったはず。敵は噂を流したがっている。六代目が若い女を食うって噂を」

中忍達はひゅっと息を飲んだ。ホムラが唸る。

「これからも目撃者は増えるとお前は思っているのか」
「はい。おそらくは一般人の目撃者が」

ホムラは難しい顔で中忍達にむかい手を振った。

「聞いたであろう。お前達は里の忍として行動せよ。下がるがよい」

中忍達が下がるとホムラはどかりと椅子に腰を下ろす。

「六代目へは」
「最初の殺人が起こった時点で式を飛ばしてあります」

ほう、とホムラが目をあげた。

「対処が素早いな、うみの。最初に殺されたは花街の女だ。ただの殺人事件ではないと何故思った」
「ホムラ様は覚えておいででしょうか。六代目がナルト達の上忍師に就任した年の夏を」

痛ましい事件を、とイルカは低くつぶやくように言う。

「若い者達が次々と殺された、あの事件か」
「はい。あの年の夏も異様な暑さでした。そして今年の夏も」
「しかしうみの」

ホムラは顔をしかめる。

「暑いだけでは何の根拠にもなるまい」
「いいえ、ホムラ様」

イルカは首を振った。

「ただの暑さではありません。木の葉の里だけを蒸し釜に入れたような異様な暑さ、あの時と同じです。何か強い力が働かなければこんなことは起こらない、人を食う妖獣の仕業でもないかぎり」
「今回の事件も化け猫じゃと?」
「はい」

ホムラの眉間の皺が深くなる。

「あの化け物はカカシが、六代目が殺した。表向きは抜忍の仕業と処理したゆえ、里の一部の者しか化け猫のことは知らぬ。それが今頃になって何故」
「わかりません。ですが今回もあの時の化け猫と同じようなモノが引き起こしているとすれば、そして六代目の姿を模しているのは」
「仇討ちにきたとでも」
「それもわかりません。ただ一つ気になることが…」

イルカはきゅっと口元を下げた。

「ペイン来襲で里の施設は全壊しました。本部研究棟の資料倉庫もそうです。だけど燃えたわけではない。瓦礫の下からほぼ全ての資料用サンプルは回収できました。瓶が割れて中身がダメになっていても回収はできたんです。なのに一つだけ、あの化け猫の保存死体だけが消えていました」
「確か、研究員の一人が死亡していたな」
「はい、死因は首の裂傷です。クナイではなく獣の牙で裂かれたような」

ふむ、とホムラは眼鏡を押し上げる。

「今回の事件に関わりあるとお前は踏んだのだな」
「その可能性は大きいと思います。それでなくとも木の葉に復讐するつもりならば里長を貶めるのは理にかなっているなと」
「それだけの知恵がある化け物だということか」
「はい」

イルカは知っている。かつて、化け猫の次のターゲットだったのは自分だ。奴は暗部の目をかいくぐるほどずる賢く、絡め手で獲物をおびき出す知恵があった。

「かつて木の葉を襲った化け猫の仲間だという証拠はありません。ですが手を打っておくにこしたことはないと火影様はお考えです」

イルカは懐から術式の書かれた札を取り出し執務机の上に置いた。

「今朝、鉄の国から火影様の至急便が届きました」
「見たことのない術式じゃな…」
「火影様が以前、対化け猫用に考案なさっていたものです。アレには普通の幻術返しは効きませんから」

札を手に取りしげしげと眺めるホムラにイルカは頷いた。

「これを家の中心に貼れば化け猫の妖術を無効化できます。あの化け猫はターゲットに想い人の幻影を見せ家の中から誘い出していました。今回の敵があの化け猫と同じタイプの妖獣だとするとただ出歩かないよう通達を出したところで無駄です。家の中から誘い出されてしまう。この10日ですでに五人が殺されています。これ以上被害者を出すわけにはいきません」
「ふむ。じゃが作成するのに何日かかる。木の葉の全戸数分といったらかなりの数じゃぞ」

ますます眉間の皺を深くするホムラにイルカはニカリと笑った。

「そこは六代目ですよ、ホムラ様。全戸数分コピーを作れる術式もちゃんと送ってきました。すでに全戸分出来上がっているはずです。ただ、貼る場所を忍びが選定して印を切る必要がありますからこれから下忍、中忍総動員で日暮れまでに作業を終えさせねばなりません。ホムラ様にはその指揮をとっていただきたいのですが」
「了承した」
「アオバ特別上忍が補佐につき、班の編成表名簿は事務方がお持ちします」

頷くホムラの執務机にイルカは里の地図を広げた。数カ所に?印がつけてある。

「五代目を中心として医療忍者には水源の守備をお願いしています。化け猫の瘴気が水に混ざっても医療忍者ならば毒物だけを取り除けますから」
「化け猫がそこまで知恵が回るか?」
「わかりません。しかし今回の敵の目的は人を食うことではなく木の葉への復讐だと六代目はお考えです。水を守らねば戦う前に全滅するでしょう」
「守りはわかった。じゃが通常任務を滞らせるわけにはいかん。長引けば厄介じゃぞ」

ホムラの言葉にイルカは表情を厳しくする。

「奴の動きを封じてこちらへ仕掛けさせるしか手はありません。前回同様、下忍の手にはあまりますからアカデミーを中心とした本部づき中忍で夜の見回りを行います。ただし今回はフォーマンセルで」
「フォーマンセルでは見回りの班が減るぞ。ツーマンセルではいかんのか」
「だめです。ツーマンセルでは殺られる」

イルカは前回、同僚と見回った時のことを思い返す。奴が遊びを楽しまずすぐにイルカを食おうと思ったらあの見回りの晩、二人共殺されていた。

「あくまで奴が手出ししにくい人数での見回りを行い奴を苛立たせます。そこへ囮を使って誘い出し仕留める」
「囮とは、お前の口からそのような言葉が出るとはな」

眼鏡越しに驚きの視線を寄越すホムラにイルカは自分を指差した。

「囮は私です」
「なんとな?」

ますますホムラが目を見開く。イルカは苦笑いした。

「多分、奴は私を殺したがってると思うんです」
「その根拠は」
「あ〜〜」

鼻の傷をぽり、とかいた。

「なんとなく」

ホムラが目を剥く。

「あ、いや、だってですね」

イルカは慌てて手を振った。

「どーもオレって奴らからみたら旨そうらしいんですよ。前回、食われそうになりましたし、まぁ、若い頃より筋ばってきたんで今でもオレに食欲わくかどうかわかんないんですけど。それに」

ふっと表情を引き締める。

「保存していた化け猫の死体を持ち去ったのが奴だとしたら、化け猫の妖術がどういうものかわかりませんが、仇は六代目だと奴は知っている。だったらオレを狙うのが自然かなって」
「……食いにきたらどう対処する。お前では奴を倒せまい」
「そうですね。オレ…私には無理です。なので彼らを呼び戻しました」

入れ、とイルカが声をかければ執務室のドアが開いた。金髪碧眼の長身の青年と対のように立つ黒髪の青年。

「おぬしら…」
「彼らが仕留めてくれます。な、そうだろ?ナルト、サスケ」

名を呼ばれた青年二人は気合い充分に頷いた。

「リベンジだってばよ」
「同感だ」

当時、まだ子供で化け猫に対して為す術を何も持たなかった二人も今では成長し五大国に名を馳せる忍びとなっている。イルカはにっこりと二人に笑った。

「頼りにしているからな」
「おぅ、まかせろってば」
「承知した」

妙な幻術を使う化け猫相手ではどんな手練でも安心は出来ない。だが陰陽対のこの二人ならきっと大丈夫だ。

「とっとと解決しちまわないとな…」

己に言い聞かせるようにイルカは呟くと二人を連れホムラの執務室を辞した。全てははじまったばかりだ。


 

2006年完売本『化け猫譚』の再録と書き下ろし。十年前なんですねー、化け猫譚。化け猫騒動でくっついた二人が十数年後、再び化け猫の脅威にさらされるお話です。いくつになってもイルカ先生は美味しそうだったらしい…