まかせて
あの人はよくこの言葉を使う。あの人がオレに向かってそう言うと、なんだか胸がモヤモヤする。オレはこの言葉が嫌いだ。
「あ、イルカ先生、すごい量の本ですね。貸して、図書室?」
「いっいえ、このくらい平気ですから。」
「いーからいーから、まかせて。」
はたけカカシはオレの手の中に数冊残してひょい、と本の山を取り上げると唯一露な右目を細めた。
「先生はそっちお願いします。」
そしてスタスタと歩き出す。オレは複雑な気持ちでその背中を眺めた。
確かに大量の本を抱えて歩いていた。だがそれは、職員室と図書室を二往復したくなかったからで、ガタイのいい自分にとってはどうということもない。強いて言えば嵩が高いので落とさないよう気をつけるくらいだが、それだって忍である身には造作もない。
オレぁ女子供じゃねぇっての…
胸の奥がモヤモヤする。だが今はこの本の片付けが先だ。イライラを押し殺し、オレははたけカカシの後について歩いた。
カカシさんから好意を告げられたのはもう何年前になるだろう。
ナルト達七班の担当上忍と元担任として知り合ったカカシさんは、本来なら中忍のオレなんかが口をきく事も出来ないような高名な上忍だ。それがどういうわけか気さくに声をかけてくれた。
いや、気さくに、という表現は適切じゃないかもしれない。何度か夕食や酒に誘われてわかったのだが、この人は案外口下手だ。普段、飄々として軽い口調で物を言うから、口達者な人なのだと勝手に思い込んでいた。それは他の連中だってそうだろう。
いや、はたけカカシは確かに話術には長けている。話にきけば、頭脳戦の得意なカカシは、口八丁で相手を丸め込むのも上手いそうだ。だが、それは忍である写輪眼のカカシであって、プライベートとなると、なんというか、とにかく口下手なのだ。
別に口数が少ないわけではない。プライベートでもよくしゃべる。そりゃあ、軽い口調でよどみなく滑らかに。なまじ話題が豊富なものだから、聞いていて飽きないし、楽しかったりもする。政治、経済、文化、芸能、よくこれだけ引き出しがあるな、というくらいはたけカカシは博識だ。しかも、偉ぶったところがないから嫌みにならない。さりげなくくわえられる意見や見解には思わず唸らせられる。
しかし、オレはある日気がついた、ものすごく唐突に。
この人は本音を素直に出せないんじゃないかと。
例えばだ、サンマ、そう、あの魚のサンマだ。居酒屋にいくとあの人は必ずサンマを頼む。だからオレは何気なく言った。
「上忍の方でもこういう庶民的な魚、お好きなんですね。」
悪気はない。偏見だと言いたきゃ言え。ただでさえ上忍ってのは近寄りがたかったのに相手は生きた伝説写輪眼のカカシだ。オレらとは違う生き物だって思っちまうだろう、フツーに。
え?三代目とはカツ丼食ってたってのにって?
あれはほれ、ガキんときから一緒に遊んでくれる優しいじーちゃんだからして、オレの中じゃあんまり三代目とか火影とかいうご大層なものに分類されていなかった。言われてみりゃ、じーちゃん、里のトップだったんだ、死んじゃったけど。
オレ、コハル様とかホムラ様だと偉い人だ〜って緊張するくせ、じーちゃんの前じゃかえってリラックスしてたよな。
いや、とにかく、当時、オレとしては知り合ったばかりの高名な上忍がいっつもサンマ食うから親近感がわいたんだけど、カカシさんはなんだか慌てたらしい。
「サンマって漁獲量が豊富でしょ、だから庶民的っていうイメージがあるのね、でも侮れませんよ〜サンマ、まずね、栄養素の面でいくとエイコサペンタエン酸とドコサヘキサエン酸が豊富でね、このエイコサペンタエン酸ってのは血栓を予防する作用があるわけよ、血液がサラサラになるっていうあれ?生活習慣病の予防は大事だよね〜。そんでドコサヘキサエン酸なんだけど、これはイルカ先生も知ってのとおり、脳に良い栄養素って有名だし、でね、サンマに含まれるアミノ酸って体内に吸収されやすくて、しかもビタミンB2の含有量は…」
いや、侮ってねぇし、サンマ…
だがオレはそれから延々と、栄養素からはじまって近年の漁獲量と小売価格の変動、需要の推移との関連性、はては世界経済にいたるまでサンマについて聞かされることになった。
素直に好物だって言やいいのに…
今にして思えば、オレのことが好きだったカカシさんは、必死でカッコつけようとしていたのだろう。でも一度気がついてしまえばなんだか得心した。
この人、案外口下手なんだ…
素直に気持ちを表現するのが苦手なのだろう。豊富な話題と知識の奥底にこの人の本音は隠れている。なんたって、たかがサンマ一つでこの有様だ。
そして、これはアスマ先生から教えてもらったのだが、この人が饒舌なのはオレの前でだけだったらしい。恋をしているから、なのだそうだ。
カカシさんの意外に照れ性なところや口下手な面を知って、オレはなんだか嬉しかった。ものすごく身近に感じたし、すでにオレの中にも、カカシさんを写輪眼のカカシではなく、はたけカカシとして特別に思う気持ちが生まれていたから。
だから、あのままの日々が続いていたら、オレはカカシさんの告白を受け入れていただろう。
その災厄は唐突だった。大蛇丸の襲撃を退けることはできたが、じーちゃん…三代目は亡くなり、多くの里の忍達も命を落とした。アカデミーは休校で、任務に忙殺される日々が続く。里の顔であるカカシさんなんかはそりゃもう、高ランクの任務を渡り歩いている状態で、めったに顔を見ることも出来なくなった。
そんな時、カカシさんを隊長としたチームのサポート任務がきた。オレは張り切った。カカシさんに会える。なにより、あの人の側で忍として戦える。医療忍をくわえたスリーマンセルでオレは現場に向かった。
そして、オレは思い知ったのだ。カカシさんは何もかもオレとは違うということを。
チームのメンバーの治療にあたる医療忍を守るのがオレ達の役目だった。任務は厳しい局面を迎えていたらしいが、カカシさんは相変わらずのんびりとした雰囲気を漂わせていた。イルカ先生と一緒の任務なんて、はりきっちゃうなぁ、などと軽口までたたかれて、オレはくすぐったかった。
敵襲があったのは着任した二日目だった。内通者がいたのだ。突然のことで皆混乱した。普通だったら全滅しただろう。だが、カカシさんの対応は素早かった。敵を防ぎながら的確に指示をだしあっという間に体勢を整える。そして、混乱に乗じて逃げようとした内通者を一刀のもとに切り捨てた。
敵忍に見せつけるように、仲間には写輪眼のカカシがついているかぎり大丈夫だと言い聞かすように。
凄かった。写輪眼のカカシは本当に凄かった。身近だなんて感じたことが恥ずかしいくらい、カカシさんの強さは別次元だった。
あぁ、オレはなんで手が届く人だなんて勘違いしたんだろう。銀色の閃光のように敵を倒して行くカカシさんの姿にオレは絶望を味わった。カカシさんは結局、雲の上の人じゃないか。オレの中で、好きだという言葉も恋人として付き合って欲しいという告白も、何もかもがペラペラと薄っぺらい、現実味のないものにかわった。
オレなんかの手が届く人じゃないのに、なんで好きだなんて言ってくるんだ。
苦い思いをかみしめながら、それでもオレはクナイを握り足を踏み出した。中忍として、一部下として、精一杯戦いたい。あの人の足下にも及ばないが、それでも出来ることをやりたい。ケガ人と医療忍は避難させた。結界もはった。その場をもう一人のメンバーにまかせ、戦闘現場へ跳ぼうとしたとき、突然、オレの前を銀色が遮った。
「イルカ先生。」
カカシさんだ。一瞬にして移動してきたのか。
「あなたはここで。」
行くなというのか。上官の命令だというのに、思わずオレは声をあげていた。
「しかし、戦況は…」
「だ〜いじょうぶ。」
カカシさんはにこり、と色違いの目を細めた。
「なんとかなりますって。」
ショックだった。戦忍として役立たずだと言われたような気がした。
いや、オレの本来の任務は医療忍を守る事だ。医療忍が現場にいるのといないのではまったく状況が変わってくる。里の状況が厳しいにもかかわらず、今回の任務が重要だからこそ中忍が二人も護衛についたのだ。そんなことはオレだってわかっている。
だが、肝心の本隊がやられては元も子もないではないか。ここの結界は完璧だ。トラップも張った。一人を警護に残し、後の一人を戦力として投入すべき局面だというのに、カカシさんはオレにも残れと言う。オレでは戦力にならないというのか。顔を強ばらせたオレをどう思ったのか、カカシさんは軽い口調で言った。
「ま、あっちはまかせて。イルカ先生は医療忍の護衛をお願いします。」
そしてまた、一瞬でかき消えた。次の瞬間、戦闘現場で派手な土煙が上がる。カカシさんだ。オレはただ、木偶の坊よろしくその場に突っ立っているしかなかった。
カカシさんの言葉通り、戦況はすぐにひっくり返った。しかもカカシさんは、その勢いを駆って任務を終わらせてしまったのだ。そう、本当に、あっという間にケリをつけてしまった。
レベルが違う、違いすぎる。月とスッポン、いや、ミジンコだ。オレなんてカカシさんの前では、水たまりのミジンコみたいなものなんだ。オレはその言葉を苦い思いで噛み締めた。
カカシさんはオレを好きだという。女のように好きだという。忍びとしてのオレはミジンコだから、庇護してやらなきゃいけないんだろう?
『まかせて』
オレはもう、素直に彼の好意を受ける事ができなくなっていた。
それから数年、相も変わらずカカシさんはオレを好きだと言ってくる。そして、わだかまりの解けないオレは毎回首を横に振る。
あなたにはもっとふさわしい人がいるでしょう?オレみたいなしがない中忍では役不足ですよ。
そんな風に答えを返す。
わかっている、あぁ、わかってるさ。オレは卑怯だ。受け入れないくせ、カカシさんの好意を手放すことが出来ないから、そんな卑怯な言い方をするんだ。きっぱりと断って彼が離れていくのが怖い。彼が誰かのものになるのは嫌だ。なのにオレは、女みたいに扱われるのが嫌で、認められていないんだとこだわって、彼の好意を受け入れない。
カカシさんはそんな時、あなたの心がほぐれるまで待ちますよ、と笑ってくれる。とても寂しそうな笑顔で、でも側にいてくれる。
オレは自分自身に反吐が出そうだった。
暁の動きが活発になり、里も慌ただしくなった。オレは相変わらずアカデミーと受付両方の勤務で、五代目の雑用係みたいなものまでやるはめになっている。だがそのおかげで、里の状況をある程度正確に把握することが出来た。
火の寺が襲われ、上忍と中忍の混合チームを探索に出すことが決まった頃、ばったりとアスマさんに出会った。アスマさんはじーちゃんの末っ子で、オレのいい兄貴分だ。チビの頃から随分と面倒みてもらった。今回、探索チームの一つをまかされていたはずだが、アスマさんの実力ならそうだろう。カカシさんはまだ入院中で、姑息なオレは仕事が終わったら見舞いに行ったりなんかして相変わらず宙ぶらりんなことをやっていた。
「カカシの見舞いか?」
くわえ煙草でアスマさんはにやりと口元をあげる。なんだかすべて見透かされているようで気まずい。だからオレは話題をかえた。
「アスマさん、もう出立ですか?」
「おう。」
「気をつけてくださいね。」
マジで心配だった。この人は強いけど、相手は化け物だ。アスマさんは眉を下げて笑う。あぁ、こんな強い人でも不安なんだ。だが、オレには無事を祈る事しかできない。そうしたらアスマさんはふと、真面目な顔になった。
「なぁ、イルカよ。」
「はい。」
「カカシのことだがな。」
オレはぎくり、と身を強ばらせた。アスマさんは困ったように肩をすくめる。
「いやな、ああ見えてアイツは不器用なんだよ。ぺらぺら口がまわりやがるからそうは見えねぇんだがな、言いたいことの半分も伝えられねぇ、特にお前にはなぁ。」
ぽんぽん、と肩を叩かれた。
「まぁ、こういうご時世だ。アイツの本当のとこっての、少しは汲んでやってくれや。」
そう言うとアスマさんは片手をあげて行ってしまった。オレはなんとなくぼんやりその後ろ姿を見送る。
わかってるよ、そんなこと…
あの人が口下手なのも、オレのこと本当に好きな事も、全部わかっている。オレがこだわっちまってるだけなんだ。このままあの人を受け入れたら、オレは忍としてだけではなく、男としてもダメになんじゃねぇかって、それが怖いんだ。なのにあの人を手放せない。
心配…かけてんだよな…
とうに見えなくなったアスマさんの背中に、オレは心の中で頭を下げた。つくづく、己に嫌気がさした。
アスマさんが死んだ。暁の狙いはナルトだ。カカシさんは必死でナルトを鍛えている。ナルト自身が強くなるしか生き残る術はない。木の葉崩しの後みたいに、めったに顔をあわすことができなくなった。それでもたまに会いにきてくれては、ナルトの近況を伝えてくれる。そして最後に必ず言うのだ。
「ナルトのことはまかせて。あなたは里の子供達をお願いします。」
アスマさんの最後の言葉がぐるぐると頭の中で渦巻く。
『言いたい事の半分も伝えられねぇ』
オレはただ黙って頭を下げる。あなたは本当は何と言いたいんですか。
『まかせて』
あなたはどんな気持ちをこめているんですか。
そしてオレは気がついた。カカシさんはあの言葉の後、必ず『お願いします』とオレに言うのだ。
あなたはそっちをお願い、子供達をお願い、里をお願い…
まかせてだけじゃない。ちゃんとオレに言ってるじゃないか。
『こっちはまかせて、あなたはそちらをお願い。』
一緒に生きてよ。
そうだったのか…
自来也様も殺された。あの人こそ悲しいだろうに、辛いだろうに、里を支えるために飛び回っている。そしてまたオレに言った。
「ナルトをお願いします。」
にこり、と笑って、そしてオレが何か言う間もなくかき消えた。
あぁ、こんな時までアンタは笑う。安心させるように、でもとても悲しそうに。どこまで不器用なんだ。
そしてオレはとことん大バカだ。つまらないことにこだわって、一人でうがったこと考えて、あの人の好意にあぐらをかいて。
うわ、マジに反吐が出る。嫌な奴だよオレは。人間ちっせぇ。
でも、こんなオレでもいいって言ってくれるんなら、まだ好きでいてくれるんなら、今度こそオレは…
………って決心した途端コレだよ、大ピンチだよ、っつか、100%殺されるよこの状況。
いきなりだった。わけのわからないうち里が襲われて、派手にあちこちぶっ壊されて、んで、仲間が怪我してたから助けようとしたんだけど、あぁ、オレってつくづくドジだ。気配も何もわかんなかったよ。っつかコイツ、この服装、暁か。じゃあ、オレがドジなんじゃなくて、コイツのレベルが高すぎたんだな。なんだよかった…じゃなくてっ。
本当にヤバい。自力で逃げるなんて絶対無理。この暁さんが気まぐれでも起こしてくれないかぎり、オレに生きる道はない。まぁ、状況を見るかぎり、こっちが雑魚だからって見逃してくれなさそうだけど。
侵入者はナルトの居場所を聞いて来た。誰が言うか、あの子は強くなってお前らをぶっ潰してくれるんだよ。だけどこりゃ瞬殺決定だな。
オレは覚悟を決めた。こんな時になって浮かぶのはカカシさんの顔ばっかりだ。人間の死に際って走馬灯みたいに一生のことが駆け巡るって聞くけど、オレの頭ん中駆け巡るのはカカシさんとの思い出ばっかり。
あぁ、オレ、こんなにアンタのこと好きだったのに何こだわってたんだろう。せめて好きだって一言いいたかった。宙ぶらりんでアンタにひどいことして、きっとバチあたったんだな。だったら、最後くらい毅然として死んでやろう。カカシさんが好いてくれたオレなんだ。みっともない真似だけはするもんか。
「お前のような奴に何も話すつもりはない。」
さよならカカシさん、オレ、アンタが大好きだ…
一瞬の出来事だった。目の前に立つ長身、オレに向けられた得物を片手で掴んで止めている。
「カカシさん。」
思い描いていたその人がオレの目の前にいた。
「そこの負傷者を連れて退いて下さい。ま、ここはオレにまかせて。」
敵に全神経を集中させているのに、口調は軽い。いつも通りだ。
「お願いします、カカシさん。」
まかせて、の後に続く言葉をオレは引き取って言った。カカシさんの肩が僅かに揺れる。
そう、まかせるところはきっちり委ねて、オレはオレの出来ることをやる。そうやって一緒に戦って人生乗り切ってやる。いつもアンタが言いたかったのはそういうことだろう?
オレは負傷者をかつぐと地面を蹴った。モタつけば足手まといだ。医療班のいるところへ全力で駆ける。
カカシさんは大丈夫。
そう、あの人は死んだりなんかしない。あれで結構しぶといのだ。そしてオレだって死なない。オレ達は一緒に人生、乗り切っていくんだから。
戦って生き抜いて、あの人はきっとオレの所に帰ってくる。オレだって生きて迎えてやるんだ。そして、怪我してくるだろうあの人に言おう。
看病はオレにまかせて。
キスをおくってそう言おう。口下手なあの人がどんな反応するか、よし、それがオレへのご褒美だ。
あちこちでまた爆発音がする。気合いを入れ直し、オレは皆と合流すべく足を速めた。
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