十月のラブレター



「あ〜、行っちまったなぁ…。」


レオリオは寂しげにつぶやいた。部屋の中が急にガランとする。クラピカが持ってきた金木犀が甘い香りを漂わせていた。




ハンター稼業などやっているせいで、クラピカがレオリオのところに帰れる時期は、実に不定期だ。滞在する日数もバラバラで、それはレオリオも重々承知している。医者になったら一緒に世界を廻ろう、それまでの辛抱と頭でわかっていても、寂しいものは寂しい。

にしても、今回は短かったな〜

レオリオは嘆息した。たったの二日だ。深夜にやってきて、翌日の夜には出ていった。一緒にいられたのは実質一日、しかも、クラピカは授業をさぼるのを許してくれない。本当なら、限られた時間、ずっとベッドで睦み合いたいと思っているのだが、真面目な恋人は絶対に首を縦には振らないのだ。

レオリオは花瓶に挿した金木犀を指でつついた。はらはらと黄色い小花が散る。クラピカがこれでもかというほど、抱えてもってきた金木犀。ふわっと甘い香りが漂うと、クラピカがまだそこにいるようで、レオリオはいっそう切なかった。



☆☆☆☆☆



「いよぅっ、遠距離恋愛男、しけたツラしてどーした。」

講義室で肩を叩かれ、レオリオはむっつりしたまま振り向いた。同じ医学部の友人が二人たっていた。一人は北の国出身で青い目の、金髪も見事な美丈夫で、もう一人は茶色い柔らかな髪を肩まで伸ばした茶色い瞳の優男風だ。二人ともにレオリオと同じくらい大柄で男ぶりがよかったが、みかけによらず根が真面目で、女遊びをするより男同士でつるむのが好きな連中だった。

「なんだなんだ〜、寂しくって辛いわって顔してるぜぇ。」

金髪の友人がからかうように笑った。この友人達は、レオリオに美人の恋人がいるのを知っている。仕事の都合で遠距離恋愛中なのだということも。興味本位で詮索するような連中ではなかったので、ハンターだということ以外、レオリオは割と素直に恋人のことを話していた。

「さてはついにあの美人に振られたか。」

明るい茶色の髪の友人は、口調は柔らかだが言うことは辛辣だ。

「独占するからだぞ〜。オレ達が飲みに誘ってもすぐ邪魔しやがるから。」

クラピカと何回か顔をあわせたこともある悪友達は、クラピカが帰ってくるのをみはからっては飲みに誘いたがるのだが、それだけはレオリオが断固阻止していた。理由は単なる独占欲、第三者がいるところでクラピカが酔うはずはないとわかっていても、無邪気な笑顔を誰かに見せるのは嫌だった。

「自業自得ってなぁ。」
「失恋記念に飲み、行くかぁ?今夜。」
「誰が失恋だっ。」

ふられちゃいねぇっての、と唸るレオリオの肩を悪友達は笑いながら叩いた。

「んじゃ、いつもの店でな。」
「あぁ。」

後ろ手で悪友達に答えを返すと、レオリオは廊下を歩いた。窓からふっと甘い香りが漂ってくる。冴え冴えとした秋の大気に香る金木犀、レオリオの胸がツキンと痛んだ。






秋の日は暮れるのが早い。授業を終えたレオリオが外へ出ると、辺りはすっかり薄闇に包まれ、夕焼けが最後の光を西の空に赤く燃え立たせていた。アパートへ戻るのも面倒くさくて、レオリオは友人と会う約束をした居酒屋へ直接足をむける。

実のところ、今日は部屋に帰りたくない気分だった。ドアを開けると否応もなく金木犀が香ってくる。するとどうしても、クラピカの気配を探してしまうのだ。頭でいないとわかっていても、香りの先に愛しい存在を求めてしまう。そして明かりをつけて、誰もいない部屋に打ちのめされる。女々しいとは思うが、どうしようもない。

「だいたい、あんな香りの強い花、持ってきやがるからだ。」

匂いはそれに結びついた記憶を強く呼び起こす。今更ながら、クラピカが恨めしくなる。

「ほんにアンタはつれないお人ってな〜。」

ため息とともに一人軽口を叩いた。冷え冷えとした秋風にレオリオは首を竦め、繁華街への道をたどる。どこからかふわりと金木犀が香ってきた。レオリオは一瞬、足を止め、それから首を振って歩き出した。



待ち合わせた居酒屋は、酒と料理が美味く、こざっぱりとした店構えで、それなのに値段が安いため、いつも賑わっていた。

「お〜、こっちだ〜。」
「よっ、振られ男っ。」

悪友二人は窓際のテーブルに陣取ってビールをあおっている。

「だーから、振られてねぇっての。」

がしがしと黒髪をかきまわし、レオリオは金髪の友人の隣にどかりと腰を下ろした。

「何いってんだー、寂しくってたまりません、って顔してたぞ〜。」

向かいで茶色い瞳が悪戯っぽく笑う。

「うるせぇ…」

図星をさされてレオリオは決まり悪げにメガネを押し上げた。通りかかった店員に黒ビールとソーセージを頼み、座席に寄りかかる。窓は開け放され、外から夕風が入ってきた。

ああ、また金木犀の匂いだ…

いつものようにバイトの女の子にちょっかいをかける気にもなれない。運ばれてきたビールジョッキをぐいっとあおって景気をつけると、向かいの優男に逆襲をかけた。

「お前こそ大丈夫なのかよ。故郷に置いてきてんだろ〜、かわいい人をさ。」
「ん〜〜、おれらはかた〜い絆で結ばれてますからねぇ、レオリオせんせ。」

茶色い髪をかき上げ、悪友は胸元から何やら取り出す。どうやら故郷にいる恋人からの便りらしかったが、それよりもその封筒からふわりとオレンジの花の香りが漂ってきたことにレオリオは興味をひかれた。

「なんだ、香りつきか?」
「つーより、香りがお便りってゆーかな。」

友人は封筒から小さな布きれを取り出す。

「いっつもあいつ、自分がつけてる香水を染みこませて送ってくんだよ。」

金髪の友人が怪訝そうに青い目を瞬かせた。

「わざわざ布にか?移り香とかじゃなくて。」

恋人の手紙を片手に持った男はへらりと相好を崩した。

「この香りがしたら私を思いだして、だとさ。言うこと、可愛いだろ、なぁ。」
「あ〜、聞いたオレがバカだったよ。」

独り身には耳の毒〜、と友人のノロケにぼやく金髪の隣でレオリオは肩を揺らして笑った。

「そういや、お前の恋人はそ〜ゆ〜ことしねぇの?」
「あ?あぁ…」

茶色い髪の友人が無邪気に問いかけてくるのに、レオリオは曖昧に答えた。

「匂いとかつけちゃマズイんだよ…」

ブラックリストハンターであるクラピカは存在を気取られるような匂いを好まない。だから、基本的に香水のたぐいは身につけなかった。

「あ、そーいや、クラピカさん、通訳だったっけ?仕事。」

金髪の友人がうんうんと頷いた。

「確か、いろんな人と間近で仕事するから、香水とか御法度なんだよな。」
「まぁな。」

レオリオは以前、語学が堪能なクラピカに二人が通訳の仕事なのかと聞いていたのを思い出した。そしてクラピカがその思い違いを利用したことも。

クラピカは自分のせいでレオリオに害が及ぶのをひどくおそれている。確かに今のレオリオでは、念を使う輩に襲われたらひとたまりもないだろう。だから、クラピカはハンターであることを周りにひた隠す。だがいつか、自分が医者になりハンターとしても力をつけたら、いつの日か友人達に堂々と言えるのだろうか。オレの恋人はハンターなのだと、命がけの立派な仕事をしているのだと。

ぼんやり考えに沈んだ目の前で、茶色い髪の男は封筒に鼻を押し当てている。

「ん〜、彼女の香り〜。」
「匂いだけってのもなんだ、遠いと難儀だなぁ。」

金髪の友人の茶々に、にやけていた男はがっくり肩をおとして同意した。

「そ〜なのよ〜。匂いはすれども姿はなしでねぇ…」

それはそれで辛いって〜、とぼやきはじめる友人を、金髪はバシバシ叩いて励ました。

「まぁ、飲めって、飲め飲め。」

レオリオはそれを眺めながら、クラピカのことを思い浮かべる。

匂いはすれど姿はね…

ふわり、ふわりと金木犀が香ってくる。レオリオは自嘲気味にジョッキをあおった。







部屋へ帰ると、閉め切っていたせいで金木犀の香りが濃厚にただよっていた。レオリオは明かりをつけないまま、ばさりと上着をソファにかける。

「…ただいま、クラピカ…」

いないとわかっていても、言葉が口をついて出た。甘い香りが揺れるたびに、そこにクラピカがいるような気になってくる。ネクタイを緩めただけで、レオリオはどさっとソファに寝ころんだ。酔いでぼうっと頭が霞む。暗い部屋の中、レオリオは甘い香りと酔いに身をまかせ目を閉じた。クラピカが側にいる夢、香りとともにクラピカが側にいる。

この香りがしたら私を思いだして、かぁ…

茶色い髪の友人のにやけきった顔を思い出し、レオリオは笑いをもらした。

クラピカもそのくらい素直になってくれりゃ…

レオリオの目の前に金木犀を抱えたクラピカが浮かぶ。仏頂面でずいっと押しつけるように金木犀の枝の束を渡してきた。香りの強さにレオリオが目を白黒させていると、クラピカはむっつりとしたまま言った。

いい香りだったから。

レオリオと目を合わさず、無愛想きわまりない物言いだった。

あーゆーときはアイツ、照れてるときなんだよなぁ…

ふと、レオリオの中に何かが引っかかる。

ああ、良い香りだが、それにしてもすげぇな、部屋中金木犀の匂いがついてしばらく取れねぇだろうなぁ。

するとクラピカが少し笑ったのだ。ほんのわずか、口元を上げて、それでも嬉しそうに。

はっとレオリオは目を開けた。大事なことを、今まで自分はとても大事なことを見落としてきたのではないか。

そういえばクラピカは、いつも何を持ってくる。

レオリオは額に手を当て、記憶をたどった。

夏は、初夏に来たときには白いくちなしだった。でっかい花がついていて、お前が花びらの目立つやつを持ってくるのは珍しいと茶化したのだ。そうだ、クラピカはいつも目立たない、小さな花びらのものばかり持ってきていたから。だから意外に思った。花らしい花をもってきたと。

思い出せ…クラピカはその前、何を…

そうだ、五月は花をつけたオレンジの枝だった。小さな白い花が愛らしいオレンジは部屋一杯に甘い香りを漂わせて…その前は、あれは沈丁花か、まだ春浅い頃で、今みたいに空気が冷たくて、そこら中沈丁花の花の香りがしていた。クラピカが行ってしまった後も部屋の中はクラピカの残り香のように沈丁花の香りがしていた。

レオイリオはがばりとソファに起きあがる。

アイツ、たしか木の枝だけ持ってきたこともある。あれは真夏だ、八月に持ってきたのはただの木の枝だったけれど、青々とした葉っぱから清々しい香りがしていた。オーデコロンの原料になる木なのだとクラピカは言った。海沿いの公園にもあるだろう、と。確かに良い香りだったが、何故このあたりにもある木の枝をたくさん持ってきたのか不思議で…


この香りがしたら私を…


「バカか、オレはっ。」

レオリオは思わず声を上げた。

「花じゃない、香りだったんだ。」

レオリオは自分で自分をぶん殴りたい気分だった。何故気づかなかったのだろう。クラピカは香りの強い、しかも日常よく香りを嗅ぐ機会の多いものを持ってきていたのだ。クラピカ自身が特定の香りを持たないからこそ、帰ってきた時の季節の香りを部屋へ持ち込んでいた。

私を思いだして。

それはレオリオへのメッセージ、茶色い髪の友人の恋人が香水を含ませた手紙を送るのと同じだった。

この香りがしたら私を思いだしてくれ。

「…お前の…ラブレターだったのか…」

なんて素直じゃない、なんて意地っ張りな、しかしなんて可愛いヤツなんだろう。

レオリオの口元に優しい笑みが浮かんだ。

「お前って、案外けなげだな…」

そしてオレはなんて鈍い恋人なんだ。レオリオはひとり呟く。金木犀の香りが胸に満ちてくる。甘く、温かく、クラピカへの思いが満ちてくる。


あぁ、そうだ、今度クラピカが帰ってきたら大騒ぎして文句を言ってやろう。金木犀が香る度にお前を思いだして恋いこがれていたと、秋の間中、胸が痛くてしょうがなかったと。

香りがラブレターだということには気づかないふりをして。

レオリオは楽しそうに肩を揺らした。なんといっても恋人はひどく照れ屋なのだ。もし自分が気づいたとわかったら、恥ずかしがってこのラブレターをおしまいにしてしまうだろう。それはとても残念だ。もっともっと甘えさせてあげたい。思い切りゴネてやって、これでもかというくらい愛してると言ってやって。

金木犀が香る。だが、さっきまでの胸の痛みはけしとんだ。これは可愛い恋人の小さなわがまま、それがこんなにも自分を幸福にしてくれる。

「次に帰ってくるのはクリスマスとかいってたか。」

そもそも、今回帰ってこられなかったのも、冬をここで過ごすため、必死で仕事をこなしているに違いないのだ。

「匂いの強いクリスマスリース、持ってくるんだろうなぁ。」

その様子を思い浮かべてレオリオは笑いを漏らした。それからレオリオは携帯を取り出すと、日課になっているメールを打った。

おやすみ、クラピカ。お前だけのレオリオより。

「十月のラブレター、確かに受け取ったぜ。」

レオリオは携帯をみつめて呟くと、うーんとのびをした。胸一杯の香りを吸い込む。甘い金木犀の香り、それは幸せの香りだった。




☆☆☆☆☆





「何してるの?クラピカ。」

センリツに声をかけられクラピカは顔をあげた。膝には植物図鑑がのっている。

「別に…ただ本を…」

センリツがくすっと笑った。

「ただ本を読んでいたにしては、あなたの心音、飛び跳ねているけど?」

クラピカは観念したように天井を仰いだ。

「本当にあなたにはかなわないな。」

それからクラピカは、図鑑の上で所在なげに手を動かした。

「その…真冬に香りの強いものはなにか、見ていたのだ。リースの材料にしようと思って…」

センリツはほほえんだ。甘く切なく歌うクラピカの心臓、それは恋人のことを考えている時のメロディーだ。

「そうね、色々あると思うけど。」

にっこり笑って付け加える。

「彼にあげるクリスマスリースにするのでしょう。一緒にさがしてあげるわ。」

クラピカの頬がわずかに染まった。

「すまない、頼む。」

突然、クラピカの携帯が振動した。ちらと画面を確認したクラピカから表情が消える。

「ターゲットが動いた。」

たちあがったクラピカの後にセンリツも続いた。もう心音はいっさいのメロディを奏でない。単調なハンターとしての心音を聞きながら、センリツは願った。

クラピカ…クルタからもう解き放たれなさい…

復讐も同朋の目を取り戻すこともやめて、ただあの黒髪の恋人の手をとってほしい。それが一番いいはずなのに。

前を歩くクラピカの背は毅然としているがどこか悲しい。だが、そんな不器用で真っ直ぐな魂だからこそ、あの黒髪の男はクラピカを愛するのだろう。

「とにかく、仕事仕事。」

センリツは胸の痛みを払うように声をだした。無事に仕事を終えることが今は大切、感傷はその後だ。

「それからクリスマスリースの相談に乗ってあげなきゃいけないわね。」

恋人に届ける香りの恋文だから、とびきり素敵なブレンドを考えてあげよう。十二月のラブレターはちょっと特別ね、と言ったら、あの照れ屋さんはどんな顔をするかしら、それを想像してセンリツは微笑んだ。

修羅の道にも光は射すのだ。そしていつか、穏やかな光の中で生きられるように。センリツはただ、目の前を歩く青い衣の後ろ姿に静かに願いをささやいた。





ふわっと金木犀が香る。クラピカは微かに意識を香りに向ける。

レオリオはこの香りに自分の面影を重ねてくれているだろうか。いや、きっと重ねている。情の厚い男なのだ。今度帰ったとき、辺り一面お前の匂いで大変だったとぎゃあぎゃあ文句を言ってくれたら嬉しい。


あれは私のラブレターなんだぞ。ありがたく受け取っておけ。


心で黒髪の男にそう告げると、クラピカは再び意識を狩りに集中した。死の匂いの濃い闇の中をクラピカは駆ける。

必ずお前のところに帰るから。

闇に冷気が揺れる。金木犀が香り立つ。冷徹なハンターの口元には微かに笑みがはかれていた。


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クラピカさん、きっと幸せになれるよ〜、と思わず願いまくってるイーヨなのでした。今回、珍しくお笑いなしですね。はっはっは、たまには真面目なのもいいじゃねぇかってな。フリーssですので、ご自由にお持ち下さい。